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明日がちょっと楽しみになる(かもしれない)BLOG

近頃は1人カラオケネタが多い、日本マニアック協会札幌支部長のブログ。

しゃべれなくても心配ないさ~ (1)失敗談から

しゃべらないと集団の中で影が薄くなってしまうんじゃないかと不安になっているそこのあなた!

今回から何回かに分けて、しゃべらずに人の話に耳を傾けて相槌を打つことも十分に価値があるんですよ、っていう話をしていきますよ(^^)。

 

良くしゃべって人を笑わせたり感心させたりすることの得意な人って魅力的に映りますよね。
周りの人から尊敬のまなざしを集め、人が寄ってくる…

そういう人になりたいなあと思う人も多いでしょう。


かくいう私も「そういう人になりたいなあ」って思っていました。

かつては。

 

もうずいぶん昔のことですが、それまでは「とにかくしゃべることで周りの注目を引きたい。そうしなきゃ自分の存在感を示せない。」と思っていたんですね。
人の話の輪に入って行っては自己アピールみたいな話をしまくったりなんかしてました。まさに痛いヤツ(^^;)。

そんな姿勢で当時所属していたとあるコミュニティで活動していたある時、ふと、ホントにふと、自分の周りに人がいない、近寄ってくる人がいない、ということに気が付いたんです。(厳密に言えば全くいなかったかと言えばそうではなく、親しく話しかけてくれる人も少なからずいましたが、自分の感覚としてはそんな感じでした)
また、そこの仲の良かった友人も私と距離を置きたがっている空気も感じました。
(これが特にきつかった)

それはもうショックでした。周りの景色がガラッと変わって見えるくらいに。

 

それを機に考え方が180度変わりましたね。

たくさんしゃべってウザがられるくらいなら、多少暗い奴だと思われても自分の所属しているコミュニティのためにどれだけ貢献できるかを考えて行動するようにしようと。

野球に例えて言うと、攻撃時にランナーがいる場面で迎えた打席で、バットを振り回すことなく淡々とバントを決め続ける、そういう存在になろうと。

その当時は人と人とがつながる場づくりをしてみたいということは考えたこともありませんでしたが、現在の私の思考の土台はこの苦い経験によってつくられたと今でも思っています。

ちなみにそのコミュニティは、苦しい思いをしてまで居続けても仕方がないし、第一、メンバーにも迷惑がかかると思い、1年半で辞めました。

 

今でも当時のことを思い出すと、

「しゃべりが下手な自分が上手な人のまねして、ぺらぺらしゃべっていたのが『敗因』だったなあ」(あくまで私のケース。他の人の可能性を否定しているわけではないです)とか、「口数は決して多くはないけど人が寄ってくるメンバーもいたなあ」とかいろいろな記憶がよみがえってきます。

本来そこは楽しいことをするためのコミュニティなんですが、私にとっては楽しいことももちろんあったんですけど、やっぱりそれ以上にこういう苦い思い出の方がよく記憶に残っていて、そういうことばかり思い出される、そういう場でしたね。

ただ、繰り返しになっちゃいますけど、この経験があったからこそ今の私があると。
逆に言えば「人の『楽しい』のために何ができるか」「人のホッとする居場所ってなんだろうか」ということを考えるようになった経緯を根本まで突き詰めるとこの経験に行きつくんです。

 

と、ここまで私の失敗談をお話してきました。
が、みんながみんなこういう経験をするわけではないでしょうし、また、したくないと思う人ももちろんいるでしょう。

なので今後も「聞き役に回ること」についていくつかの角度からお話しして、一人でも多くの人に「しゃべられなくともあまり不安にならなくてもいいんだよ」ということを伝えていければと思っています。

 

それではまた~